中島ノブユキの新譜(Aug.2010)

 
 bar bossaの近所で開店したピニョン※というビストロのオーナー・シェフである吉川倫平さんがこんな話をしていました。
「ヨーロッパ人って芸術全般に興味を持っているんですよね。音楽や絵画、ダンスや映画、小説や詩、色んなジャンルを網羅して楽しんでいるんです。で、同様に『食』も芸術の1ジャンルとして認識してくれているんですよね。ワインの良い作り手や良い料理人をちゃんと芸術家として評価してくれるんです。でも日本の場合って何故か音楽が好きな人は音楽だけ、映画が好きな人は映画だけ、ワインが好きな人はワインだけが詳しくて、他の芸術ジャンルに全く興味を示さないんですよね」

 なるほど、なるほど。そうなんですよね。bar bossaは何故かヨーロッパ人のお客さまが多いのですが、彼らはジョアン・ジルベルトもカエターノ・ヴェローゾも知っているし、ボルドーとブルゴーニュとローヌとロワールとアルザスの違いも知っているんですよね。そんなことは話したことないけど、たぶんオズやハルキ、歌舞伎やアニメも詳しいだろうし、プッチーニやストラヴィンスキー、レヴィ・ストロースやジェイムズ・ジョイスも知っているんだと思うんです。

 それに比べてやっぱり日本人の場合、みんな興味の範囲が細分化されているんですよね(ちなみに私はヨーロッパと日本のことしかわかりません。アメリカや韓国やインドがどうなのか報告いただければ幸いです)。ブラジル音楽が好きな人はブラジル音楽だけ、ワインが好きな人はワインだけ。SFが好きな人はSFだけ、演劇が好きな人は演劇だけ。これってどうしてなのか考えてみると文化人類学的にすごく面白いとは思うのですが、この文章はそんな場所には向かいません。

 私はbar bossaを開店するとき、この日本人の特性を利用しようと思いつきました。私自身はもちろんボサノヴァ以外の音楽も好きなのですが、お店を「ボサノヴァのお店」と設定することによってより多くのお客さまを獲得できると考えたのです。

 それは「ボサノヴァのお店」をすることによってボサノヴァ好きのお客さまを囲い込もうと思ったのではありません。「ボサノヴァのお店」ということでよりたくさんの音楽ファンのお客さんを取り込もうと考えたのです。

 ちょっと想像してみて下さい。「基本的にはジャズ・バーなんだけど、ブルースやソウルもかかるし、AORやフュージョンなんかもかかるバー」と「とにかくチェット・ベイカーしかかけないバー」だとあなたはどちらに行ってみたいなあと思いますか? あるいは「パスタやピザもあるしタイ料理風なのもあるし、和もあって、ビールや焼酎、ワインも充実しているお店」というのと、「お酒は日本酒が一種類とエビスの生があるだけなんだけどとにかくイワシ料理がおいしいというお店」、あなたはどちらに魅力を感じますか?

 おわかりですか? 「ボサノヴだけがかかっているお店」の方が「ブラジル音楽全般のお店」より「ジャズやボサノヴァを中心としたお店」よりお客さんはより興味を持ってもらいやすいんです。そしてさらに「ボサノヴァ」がとにかく好きな人は確実に一度は来てくれるんです。

 もちろん「けっ、ボサノヴァ? そんなかったるい音楽なんて聞いていられるか」というお客さんを排除してしまう可能性があります。でも東京は人口がとにかく多いので「ボサノヴァ嫌いの人」を排除しても全然営業には関係ないのです。(→逆に地方都市ではなんでもかかるジャズ・バーやなんでもおいしい料理屋の方がはやるかもしれませんね)

 こういうより狭い専門的分野を尊ぶ風潮って日本人独特の特性のような気がします。これは「職人気質」というものを尊ぶのと関係があるような気がするのですが、これはまた別の話。

 さて、やっと本題の中島ノブユキの話です。「中島ノブユキってどんなアーティスト?」って聞かれると、「うーん、一言でいうと作曲家/編曲家/ピアニストなんだけど、色んなことが出来る人なんだよね。大学の先生で、菊池成孔のアレンジもやるからジャズでもあるし、プレリュードとフーガの作曲のように本格的なクラシックの作曲家でもあるし、映画のサントラもやるし、カントゥスっていうコーラス・グループのアレンジとかもやっているんだよね。クラブ系やポップス系ももちろんやってるし、ブラジルやアルゼンチンからアーティストが来たら一緒に演奏したりしてそれも定評があるんだよね……」なんて感じです。そうなんです。中島ノブユキはどこにも属していないんです。これはおそらく中島ノブユキ本人が常に「どこにも所属したくないなあ」と考えているからなのでしょう。というのはある時本人が「一度もバンドに加入したことない」と告白していた事実が明らかにしています。

 しかしですね、音楽に限らずあらゆる芸術をやろうとするときって「○○系」っていうジャンルに入ってしまった方がなにかと楽だと思うんです。例えば「YMOファミリー」というサークルに入ってしまえばある程度の数字は見込めますし、「ポップスのアレンジャーで今一番おもしろい人」となってしまえばそういうお仕事がドンドンまわってくると思うんです。

 あるいは狭いジャンルでも「そのジャンルのトップ」ということになれば数字は見込めます。例えば綾戸智恵を支えているのは「コアなジャズファン」ではなくて「普通の音楽好き」だと思うし、同様に小野リサを支えているのも「ブラジル音楽ファン」ではなくて「普通の音楽好き」だと思うんです。

 でも、中島ノブユキ本人はそういう風に自分の可能性を限定されるのがとにかくイヤなんですよね。

 しかし、あらゆる芸術を志す場合、人はどこかに立ち位置を求めるはずです。中島ノブユキも実はどこかに立って音楽を奏でているはずなんです。さて、いったいそこはどこなのか。それが今度の新譜で明らかにされました。

 中島ノブユキは2009年、映画「人間失格」のサントラの作曲に没頭していました。その映画の中に監督は中島ノブユキにこんな音楽を要求しました。この映画の中で主人公がよく行くバーのラジオから流れてくる音楽と、主人公が行ったカフェの後ろでバンドが演奏している音楽、という2種類の音楽です。この「人間失格」は太宰治が1938年に書いた作品です。そう、この2種類の音楽には時代考証が必要なんです。1938年以降に発明された音楽(例えばビートルズやクール・ジャズ)なんかはそのバーやカフェでは演奏されてはならないのです。

 そして凝り性の中島ノブユキはこの1938年以前の音楽という「制約(しばり)」をすごく嬉しそうに受け止めることにしました。

 ある日のことでした。中島ノブユキがbar bossaに来たときすごく重そうなレコファンのレコード袋を抱えて入って来ました。私が「何買ったんですか?」と訊ねると「いや今度の『人間失格』のサントラに1938年以前しばりというのがあって…」とまるで「最近知り合った彼女の要求がなかなか難しくて…」なんてのろけているように、楽しそうに語りだしたのでした。

 その重いレコード袋の中には20世紀初頭の日本で演奏されていたであろう音楽のレコードがたくさん詰まっていました。中島ノブユキはそんなオールド・ファッションなレコードをワサワサと取り出し、その時代の音楽について語りはじめました。そう、まるで気難しい彼女の話をするように。

 その後、中島ノブユキは自宅に帰りレコードをターンテーブルにのせ、心は1935年あたりに旅したはずです。「ということはこのハーモニーはありだけど、このリズムはなしなんだな。じゃあ僕ならこういう曲を演奏するかな…」という具合です。

 そう、それは「もし自分が1935年に音楽を日本で演奏したらどんな中島ノブユキ音楽を演奏したのか?」という実験です。(ちなみにこの「もし自分が○○だったら」というのは中島ノブユキの習性です。もし自分がジャズ・ピアニストだったら、とかもし自分がクラブ系の音楽を演奏したら、という実験を彼は何度も試みています)

 そして中島ノブユキはこの「音楽時間旅行」がとにかく気に入ってしまったんだと思います。

「今度のアルバムはアメリカとフランスがテーマなんですよ」と中島ノブユキ。
「え、どういうことですか?」と私。
「ジャズとフランス音楽の相互関係というのが今回のテーマなんです。今度のアルバムでも演奏しているアメリカのジャズ作曲家ビックス・バイダーベックの『インナ・ミスト』っていう曲があるんですけど、この曲をすごくゆっくり演奏したらまるでドビュッシーの曲みたいなんです」

 なるほど。ラヴェルやドビュッシーがアメリカのジャズに影響を受けたのは有名な話ですが、逆にアメリカのジャズはフランスのクラシックの影響を受けたのかどうか。卵が先か、鳥が先か、のようですが、その時代、そう20世紀初頭の大西洋上の船の上に中島ノブユキはトリップしようとしているのです。

 しかし、中島ノブユキのアイディア、なんてスリリングなんでしょうか。一枚目「エテパルマ」と二枚目「パッサカイユ」は「音楽世界旅行」がテーマだったはずですが、今回はそれに「時間旅行」も加わり、「音楽時間世界旅行」がテーマになったわけなんです。

 例えばその「音楽時間世界旅行」は今回のアルバムに収録されているピシンギーニャの「カリニョーゾ」という曲にも現れています。この曲では北村聡のバンドネオンがとても印象的に使われています。ショーロにバンドネオン? 奇抜な発想です。しかし、実はタンゴの初期ってまるでショーロみたいな音楽だったってご存知ですか? そうなんです。もとはショーロとタンゴは兄弟だったのかも知れないんです。そしてそれを2010年の東京でもう一度出会わせるというこれまた「音楽時間世界旅行」なわけです。

 わかりますか? 中島ノブユキの音楽的立ち位置。彼は世界中の音楽の歴史の中に自分が立っていることを常に意識しているんです。ある人は「日本ジャズ業界」というところで立ち、ある人は「オリコン」というところで立ち、中島ノブユキは「世界音楽史」の中に立っているんです。だからこそ、中島ノブユキはここにいながらにしてドビュッシーともピシンギーニャとも演奏が出来るし、そしてそのサウンドを中島ノブユキの音色でまとめることが出来るんです。

 中島ノブユキは2010年も中島ノブユキ・オリジナルの「音楽地図」を描きあげました。そしてその音楽は私たち一人一人が持っているはずの「地図」を刺激します。私には中島ノブユキがあの独特のしゃべり方でこういう風に言うのが聞こえてきそうです。「僕はこんな音楽地図を描いてみたんだけど、君はどんな地図を描くの? そしてその地図は面白い?」


 ※Pignonピニョン 渋谷区神山町16ー3
  tel;03-3468-2331 www.pignontokyo.com

 

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