カルロス・アギーレが良過ぎて色々考えた(Nov.2009)

 
 数年前のこと。音楽好きの友人が「最近ブラジル音楽ってどういうのが流行ってるの?」と聞いてきたので、その頃すごく話題になっていたあるコンピCDを聞かせてみた。すると友人は「え、これ、林君も良いと思っているの? 俺ちょっと無理かも。なんかすごい民族音楽って感じがするんだよね…」と答えた。

 その友人は音楽的には最先端の趣味で、音響系とかエレクトロニカとか最新のヒップ・ホップとかを常にチェックしているし、ブラジル音楽もオス・ノヴォス・バイアーノスやバーデン・パウエル、ジョルジ・ベンなどを好んで聞いていたので、このCDに拒否反応を示したのにはちょっとびっくりした。

 そしてその友人に「林くんはもう少しバランス良いと思ってたんだけどな。なんか寂しいな」と言われた。「そうか自分はバランスを失っていたんだ」と大きく反省してしまった。

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 「ボサノヴァを入り口にして様々なブラジル音楽の魅力を知ってほしい」という言葉は正直あまり好きではない。なんか「ボサノヴァは初心者向けで、ミナスやノルデスチを深く聞いている方が偉い」という図式が感じられるからだ。音楽を聞くのに「偉い」とか「初心者向け」とかあるはずがない。ボサノヴァ以外に興味がないなら無理して聞く必要なんてないしずっとボサノヴァだけを聞いていても何にも恥ずかしくなんてないと思う。

 しかしブラジル音楽にのめり込んでいくにはやっぱり段階というものがある。ボサノヴァを聞いているとやがてサンバの魅力がわかってくるし、ショーロやノルデスチといったものにも興味が出てくる。そして新しいブラジル音楽に出会うたびにちょっとづつ自分の耳が「進化/深化」していくのがわかる。

 例えば自分でもこんな経験がある。90年代のはじめ、ブラジル・レストランで働いていた頃、ブラジル人スタッフの間ではオロドゥンを中心としたバイーア音楽がとにかく流行っていた。私はその頃はサンバに夢中でこの「サンバヘギ」とブラジル人が呼んでいる音楽がいまひとつ理解できなかった。

 しかし、この後ブラジルに行くと全てが理解できた。ある日、友人の車に乗っていたときにラジオからこの種の音楽が流れてきた。ブラジルの熱いアスファルトに照り返された乾いた空気の中で聞くバイーア音楽は私をぞくぞくさせた。そしてその頃から私は上半身は裸で行動するようになったし、まさかボサノヴァなんて全く聞けなくなった。

 日本に帰ってきてからもこの「ブラジル耳」は健在だったのだがブラジル・レストランをやめて普通のバーでバーテンダー修行をするようになってからはまるで憑き物が落ちたように「現地そのままのブラジル音楽」を聞かなくなった。そしてそのバーのオーナーの求めに応じてBGMとしてのボサノヴァを用意しているうちにワンダ・サーやカルロス・リラ、セルジオ・メンデスやアストラッド・ジルベルトといった音楽を初めて聞くようになった。

 そのバーでのBGM選びではすごく勉強になった。例えば「エリス&トム」はOKで「ミウーシャ&ジョビン」はNGな感覚。「ワンダ・サー&セリア・ヴァス」はNGで「ナラ&メネスカル」はOKな感覚。そう私は「ブラジル音楽に関してのバランス」というのを獲得したのだった。

 だから冒頭の友人に「バランスの悪さ」を指摘されたときには正直あせった。私は人の「ブラジル耳」の段階を的確に判断できるはずだったのにそれが鈍っていたのかもと思わせられたからだ。

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 さて本題のカルロス・アギーレの話に入る。カルロス・アギーレはアルゼンチンの「モダン・フォルクローレ」という流れの中心人物だそうだ。モダン・フォルクローレはあの「コンドルは飛んでいく」の感覚ではなく「ネオ・アコースティック」という感覚に近い言葉らしい。

 しかしジョアン・ジルベルトのボサノヴァにマルシャやバイアォンがはじめから混じっていたように、このカルロス・アギーレもいかにも「アルゼンチン・フォルクローレ」という感覚の曲をアルバムに数曲は混入させている。それが始めはそうとうきつい。友人の言葉を借りればすごく「民族音楽」っぽい。いやほんと、出来ればとばしたくなるくらいきつい。もっとカルロス・アギーレ本来の美しい世界だけにしてほしいのにと感じてしまうのだが、アルゼンチン音楽ファンに言わせると、このアルゼンチンっぽさが一番の聞き所と思っているのかもしれない。

 そう思うととばしたりしないで、ちゃんと聞いてみようかなという気がしてくる。そんな風に無理して聞いているとこの「もろアルゼンチン」な感じが大丈夫になってきた。スペイン語の発音も始めはとても耳障りでいやだったのがなんだか慣れてきはじめた。私は「バランス」を失い始めているのだろうか。それともまた新しく「進化/深化」した耳を手に入れ始めているのだろうか。

 今手元にはカルロス・アギーレ・グルーポ名義のアルバムが3枚ある。1枚目の「CREMA」が一番アルゼンチン・フォルクローレ色が濃くて、少し内省的だ。2枚目の「ROJO」は相当ポップ感覚にあふれているが「もろアルゼンチン曲」が2、3曲あり「アルゼンチン耳」になっていない人はちょっときつい瞬間があるかもだ。そして現在の最新アルバムである「VIOLETA」はアルゼンチン色は払拭されかなり「世界スタンダード」な音になっている。しかし1曲10分なんて曲があり、ヴォーカルは入っているがスキャットのみで人によっては難解と感じるかもしれない。

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 自分より年上の人達を見ていると、音楽というものは若い頃だけに夢中になって、ある程度年齢を重ねると趣味は固まってしまい、あんまり新しいジャンルの音楽は聞けなくなり、次第に音楽なんて聞かなくなるものだと思っていた。いずれ自分もそうなるんだろうなと思っていたし、正直、最近は新しいブラジル音楽を聞いてもあまりピンとくることがなくなっていた。これは音楽のせいかそれとも自分のせいかどちらなんだろう、なんて感じていたところだった。

 でもレコード屋さんに行ってパタンパタンとすることだけはどうしても好きなので、最近はジャズやクラシックを集めてみようかなと思っていたところにこのカルロス・アギーレに出会った。はっきり言ってこのカルロス・アギーレは自分の中で衝撃だ。ここ10年くらいの間でこんなに音楽で心が震えたのは中島ノブユキとカルロス・アギーレだけかもしれない。いやー、本当にすごい、カルロス・アギーレ。是非みなさんも。

 

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