リリのためのワルツ(May.2007)

 
 音楽のことを言葉で伝えるのって難しいよね。

 最近はジルソン・ペランツェッタの2枚組CD「Valsas e Cancoes」というアルバムばかり聴いていて、この美しさをあなたに伝えようとさっきから考えているんだけど、それがとても難しいんだ。
 初めはルイス・エッサとセザル・カマルゴ・マリアーノとアントニオ・アドルフォとジルソン・ペランツェッタという4人のピアニストを軸にして、彼らがブラジル音楽をいかに美しく革新してきたか、そして彼らは今どこに辿り着いたのか、という話にしようと思ってた。でも、そんな話って日本で50人くらいしか興味ないよね。それでやめにしたんだ。
 
 でね、普通にCDの紹介のようにこういう風に書き始めてみたんだ。

 1枚目は「Valsas(ワルツ)」というタイトルでジルソンのピアノとほんの少しだけのストリングスやフルート、サックスなんかが重なる内容。2枚目は「Cancoes(歌)」というタイトルでこちらは最初から最後までジルソンのピアノのみ。クラシックともジャズともブラジル音楽とも何とも表現できない、ジルソン独自のあのメランコリックな音世界。例えば1曲目は「リリのためのワルツ」って曲なんだけど、これがとにかく悲しい曲で、まさかリリはこの曲では踊れないだろう、って感じなんだ。だからたぶんリリは死んでいるか、あるいは死にかけていると思う。そしてこのどうしようもない悲しさがアルバムの初めから最後までずっと続くってわけ。で、この悲しさは普通の悲しさじゃない。あきらめとか不安とか後悔とか静かな暴力とか喪失感とか祈りとかっていったそういうニュアンスもあるんだ。場所はヨーロッパでもブラジルでも日本でもない、何だか架空の限定された街のような感じなんだ。そして時代は近い未来。


 戦争が始まってからもう3年目になるある日のこと。私の家の門をゆっくりと開く女性の姿が見える。私はカーテンを少しだけ開き、彼女を注意深く観察する。私がいる窓際から門までは15メートルくらいはあるけれど、彼女が頭部を鈍器のようなもので殴られ、右足も骨折しているらしいというのがここからでもはっきりとわかる。彼女は足を引きずりながらこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。どうやら彼女は助けを求めているようだ。私の方を見て「タ・ス・ケ・テ」と言っているのがわかる。いや、あの女性は敵が作った幻の映像で、こちらが助けに行くと影から敵が突然飛び出してきて串刺しにされてしまうという話を聞いたことがある。そう考えてみると彼女はいかにも戦場で傷ついた女性といった感じだ。長いブロンドの髪には血がべっとりとこびりつき毛先は男がつかんで引きづりまわしたように乱れている。服も戦闘服ではない。ついさっきまで宮廷でワルツを踊っていたかのような白いドレスが引き裂かれ、太ももや胸の部分が露出してそこからも血が流れているのが見える。これは噂通りの敵が作った幻の映像だろう。私は心を閉じて、彼女をただ見つめる。彼女は幻なんだ。彼女は本当はここにはいないんだ。すると彼女の背後から3人の男達が現れる。やっぱりそうだ。思ったとおり彼女は敵の作った映像だったんだ。しかし、その3人の男達は幻であるはずの彼女に襲い掛かる。一人が彼女を押さえつけ馬乗りになる。他の二人はそれを見ながらニヤニヤと笑っている。彼女は泣き叫びながら抵抗する。私はそれでも助けに行かない。正直に言おう。私は最初から彼女を助ける勇気なんてない。
 武器の話をしよう。21世紀初頭の「核兵器廃絶運動」は正しかった。各国が段階的に核兵器を処分し、その次は大量破壊兵器も段階的に処分された。最終的にはあらゆる火器、猟銃や警察のピストルといったものまで処分された。これで世界に平和は訪れた、と誰もが信じた。しかし最終戦争が始まった。人類は「憎む心」だけは捨て去れなかったのだ。武器は世界に残されたナイフや槍、剣、刀といったものだ。あなたはナイフで人を刺したことがあるだろうか?私はない。想像するだけでも恐ろしい。目の前に怒り狂った敵がいて、その人間の首や胸を私のナイフが突き刺す。ナイフはどんな風に相手の身体にのめりこんでいくのだろうか。やっぱり骨があればそこでつっかえてしまうんだろうか。その後も、私はどうやって敵の身体を切り刻めば彼は死にいたるのだろうか。もちろん血は吹き出すし、何度も刺し続けなければいけないんだろうな。敵の方ももちろん私を刺すかもしれない。もし心臓を刺されたりしたらどの位時間が経てば死ねるんだろうか。きっとその間はずっと痛くて苦しいんだろうな。敵の手元が狂い私の目なんかを刺したりしたらどうしよう。それもきっと痛いんだろうな。想像しただけで足がすくんでしまう。銃で戦争が出来た時代がうらやましい。離れたところから狙いを定めて引き金をひくだけで人が倒れるなんて。何だかゲームみたいだ。
 今、手元に銃があれば私はこの場所から彼らを撃ち殺すだろう。しかし私には刃渡り50センチの肉切り包丁と、インターネット・オークションで買ったアーミーナイフしかない。男達は古風な長い槍を持っている。そしてとても訓練された雰囲気だ。今ここで飛び出して行っても彼らには殺されるだけだろう。女の子が泣いている。私の方に向かって「タ・ス・ケ・テ」と言っている。三人の男達も私の存在に気付く。彼らは一瞬私の方を注目するが、私が何にも行動が出来ない男だとわかると、何かを言って大声で笑い、また彼女に襲い掛かる。彼女の白かったドレスはもう泥だらけのただの布切れになっている。彼女は泣いている。しかし私は彼女を助けに行けない。
 そして私の家のオーディオ装置からはジルソン・ペランツェッタの「リリのためのワルツ」が流れ出す。



※ジルソン・ペランツェッタのオフィシャル・サイトはこちらです。
http://www.gilsonperanzzetta.com.br/

 

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