ジョビンの新譜(Mar.2005)

 
 昔、レコファンという都内の有名中古レコード店で働いていた時の話し。違う店舗の知らないスタッフや新人スタッフと出会うと、必ずまず最初の挨拶がこうでした。“どんな音楽聴くの?”。この時、一番ダメな答えのパターン例というのがあって、“なんでも聴くよ”、というものでした。そう、せっかくの会話が“なんでも聴く”ではそこでパタッと終わってしまうんですね。
 普通の人にはちょっとこの感覚わかりにくいかもしれないのでちょっと説明します。まず中古レコード店で働こうなんて思っている人は“なんでも聴く”のは当然のことなんですね。彼らはみんな毎日の食費を削ってレコードばっかり買っている人種なので、毎月4〜5万円はレコード代に消えるし、探しているレコード、欲しいレコードが常に何十枚何百枚とある人達なんです。だから別に雑食じゃなくても、普通の中古レコード店員はジャズもクラシックもたくさん聴くし、もちろんソウルもブラジルもたくさん聴く訳なんです。だから“どんな音楽聴くの?”と質問されると、ついつい“なんでも聴くよ”と答えてしまうんですね。いや、本当に良い音楽であれば“なんでも聴く”んです、彼らは。でもこれでは会話が進みません。
 そこで、ある日私はこのむなしい会話パターンを打ち切るために、新しい質問を3つ考えつきました。
 まず一つ目は“あなたにとっての音楽家でアイドルは誰?”というものです。これでまず彼が音楽を聴くきっかけになった根っこのところのアーティストのことがわかります。例えば“うーん、アイドルはやっぱりポール・ウエラーかなあ(私の世代にすごく多いんです)、だから彼がすすめているあの辺の音楽を聞き出して、そして…”とか、佐野元春(意外と多い)や坂本龍一(意外じゃなく多い)といった日本人アーティスト、チェット・ベイカーやグレン・グールドといったいかにもなのを挙げる人もいますし、バカラックやクラウス・オガーマンといった中古レコード店員ならではの答えを挙げる人もいます。ほら会話が盛り上がってきますよね。
 二つ目は“全タイトル揃えているアーティストって誰?”です。この質問、彼らは目の色が変わります。コレクター魂をくすぐってしまうんです。私がした質問で、大体パターン的に言って、マイルス・デイヴィスやビル・エヴァンス、Pファンクやマーヴィン・ゲイ、ジョン・レノンやボブ・マーリーといった王道系が多いみたいです。意外ですか?でも大体中古レコード店員って、マニアックには走らずに、結局王道一直線という道に走る人が多いんですね。これで彼がホントのところ誰が一番好きなのかわかってきますし、全タイトル集めようとするコレクター気質なのか、あるいは色んな未知の音楽を食い散らかすタイプなのかがわかってきます。
 三つ目は“新譜が待ち遠しいミュージシャンって誰?”です。これ、この質問、大体みんな頭を抱えます。“新譜だよね、最近いないんだよなあ、新譜が待ち遠しい人って…、あの人はもう死んじゃったし、あの人は待ち遠しいって感じでもないしなあ…”って感じの答えでゴニョゴニョとなってしまうのがよくあるパターンですね。実は、正直に言って私自身も、“新譜が待ち遠しいミュージシャン”ってちょっといません。もちろんカエターノやジョアンの新譜が出るなんて聞くと、“おお早く聞きたい、誰よりも早く聞いて、みんなに自慢したい”なんて思うのですが、じゃあ“待ち遠しい”かと言われると、それほどでもないんです、ごめんなさい。
 さて、やっと本題のジョビンの新譜です。新譜とは言っても、もちろんジョビンはすでに他界しているので、本当の意味での新譜ではありません。1981年にミナスで行われたライブの音源をジョビンの息子が発掘して、それを発表するといった新譜ではあるわけですが、でもやっぱりジョビンの新譜です。実はこういう録音があるらしいという話しは、以前から聞いていたのですが、これまた正直に言いますと“待ち遠しい”ほど聴きたいとは思っていませんでした。ジョビンの文字通り“声とピアノ”だけのライブ音源なんてもちろん聴いたことないけど、でもなんだか想像できるような気がしていたんです。しかし、しかし、私は買ってきたその日からしばらくこのアルバムしか聴けないくらい打ちのめされてしまったんです。どの曲も何度も何度も聴き飽きるくらい聴いたジョビン・ボサノヴァ・スタンダード曲集だし、ご存知のようにジョビンのピアノや歌声がムチャクチャ上手いといった訳でもないのに、私はCD装置の前でため息ばかりなんです。これはジョビンのピアノにもしかして秘密があるのかもと思い、国立音大で作曲を勉強したのに何故か現在グラフィック・デザイナーの山根君にたずねてみました。山根君の言葉をここに上手く再現するのは私に音楽の専門知識がないためかなり困難なのですが頑張ってみます。ジョビンのピアノはピアニストのピアノではなく、やっぱり作曲家のピアノなんだそうです。作曲家のピアノは偏差値が高いなあ、おりこうさんだなあ、と感じさせるピアノなんだそうですが、曲の構造、構成が完全に理解できていて、この音さえ弾けば、押せば、この曲は完成するという必要最小限の音をジョビンは選んで押しているらしいんですね。無駄な音が一つもないんだそうです。ううん、なるほど、ジョビン、簡単そうに弾きながら、そんな無駄を削ぎ落とした演奏だったんですね。
 ところでこのアルバム、よくお店でかけているのですが、色んな人から“これ何ですか?”って質問の嵐です。そしてみなさん同様に、“そうかジョビンのこれ、出ているって知っていたんだけど買ってなかったんだよな、こんな良かったんだ”ってリアクションをされます。みなさんもまだ買ってないんじゃないですか。いやあ、良いですよ、ジョビンの新譜。ちなみに書いていいのかどうかわかんないのですが、まだ他にジョビンがオーケストラと演奏している音源もあるそうです。これ、今から“待ち遠しい新譜”です。

※ボサノヴァ以外にも書きたいことがあるのでそろそろブログに移行します

 

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