CDがなくなる日(Oct.2004)

 
 最近いろんな音楽業界の方たちのお話で、一番多いのは“CDが売れない”ということでしょうか。以前はCDが売れない理由として“携帯電話にお金をかけすぎる”としていましたが、最近は“違法ダウン・ロード、違法コピー、アイ・ポッドの普及”といった理由があげられているようです。しかし、私が知っているレコード屋さん業界(アナログレコード専門店)では、そんなに売上が落ちているとは聞きません。“ずっと前から売上はそんな良くないからね”と彼らは謙遜しますが、CDのように売上が落ちすぎて…という話ではないようです。興味深い話です。
 これは様々な場所で話題になっているようですが、もう大手レコード会社や大手CDショップでは、“CDがなくなる日”というのを想定して動き始めているそうです。大手のレコード会社やCDショップは、何か音楽業界という大きな存在を支え、動かしているような気がしますが、アーティスト個人が直接ネットで音楽を配信するような日が来れば、あっという間に幻の存在になってしまうんですよね。でも、これってどこかで聞いた話です。そう、“インター・ネットの普及で世の中から本がなくなってしまう。”、“CDの普及でレコードがなくなってしまう”、“映画館もなくなってしまう…”などなどです。でも、もちろん私達は、結局アナログな物を愛し、レコードも本も映画館もなくならないことはもう知っています。それでも“CDはやっぱりなくなるかも”という人が最近は多くいます。
 実は私も“もしかしてなくなるかも”と思っている一人です。もちろん、私も早い時期にCD再生装置は買った方だし(と言っても買ったのは1988年ですが)、90年代の名盤、幻盤の再発CD化の嵐はかなり楽しませてもらった方です。アナログ・レコードがCDに変わることによって、音楽鑑賞という趣味自体が偏ったオーディオ・マニアのおじさん趣味から開放されて、お金のない若者や軽い気持ちの女性といった“音楽人口自体を増やした”、という説も大きくうなずかせるものがあります。実際CDが普及しなければ、今のようにジョアン・ジルベルトを語る人も多くはなかったと確信します。
 でも、というかだからこそ“CDがなくなりそうな”気がします。というのは、CDが普及し始めた時、CD派に転んだ人達の言い分はこうでした。“LPってさあ、裏返すのがめんどくさいんだよね、持ち運びもCDが便利だし”。もちろん確かにそうだとは思います。しかし、私はCDとLPが同じ金額なら今でも必ずレコードを買う人種なので、どうにも納得いきません。“そんなに裏返すのって面倒かなあ、LPサイズを持って歩くのってそんなに邪魔かなあ”という気持ちです。たぶん、あの時CD派に転向した人達は、音楽のネット配信化が進むと、あの時レコードを裏返すのがめんどくさいと感じたので、今度はCDをトレーから出してプレイヤーにセッティングするのもめんどくさがるはずだし、あの時LPサイズが邪魔だと感じたので、今度はCDサイズも邪魔だと感じるようになるはずです。“大体ソフトなんてさあ、データ化してしまって、クリックひとつで出したり閉まったりするものなんだよ…”って感じです。そう簡単に転びそうなんですよね。
 そんな日が来た時こそ、またアナログ・レコードの時代がやって来ます。どうしても“手で触れる物”として所有したい人達はどんな時代になっても確実に存在するので、その人達をアナログ・レコード派に転向させればいいのです。良いアイディアでしょ?例えば、2050年頃には、音楽人口のうち、9割がデジタル派で、1割がアナログ・レコード派となり、CDというソフトは昔のミュージック・テープ(録音用としてではなく音楽ソフトとして発売されていたのを覚えていますか?)やレーザー・ディスクのように、全く売れない中古ソフトとして世の中に残るはずです。そう、多分、あの暗黒の90年代のCD時代は、音楽ソフトのデジタル化の“移行期”だったとして記憶されるんです。“1990年代だけちょっと変な時代でさあ、デジタル情報なのにわざわざディスクに情報を記憶させてプラスチック・ケースに入れて紙の情報も付けて、街の店舗で売ってたんだよね、移行期だったんだよね”って感じです。

 さて、このコラムは“ボサノヴァ”の話で閉めなくてはいけないという制約があるので、ここから話が現実的になります。まあ、ちょっと“こうなれば良いのになあ”という希望的な話を書いてしまいましたが、ホントCDってなかなか難しいんですよね。このボッサ・レコードにも時々“CDは扱わないんですか?”という問い合わせが来ます。いや、正直、何度かCDも扱おうかなあなんて考えたこともありました。でも、やっぱり今CDの在庫を抱えるということはリスキーです。個人的にワインとレコードが好きなのって、“ちゃんとした目でセレクトしてきちんと保存すれば、よほどの変なものでない限りまず価値が下がらない、というより逆に年数を経ることによって確実に価値が上がっていく”というポイントもひとつの理由なんです。CDは新品でも本当に安くなってしまいましたが、レコードって昔異常に高すぎたアイテムは別として、いつまでも安くならないんですよね。だから自信を持って在庫として抱えられるんです。でも、CDはやっぱりドンドン安くなっちゃうんですよね。
 しかし、このCDは後30年したら絶対に値上がりしているはず、と思うCDも時々あります。その中でも“これだ!”と確信しているのが1995年にルミアール・ジスコスから出たジョビンのインスト曲ソングブック集です。このCDのアイディアはジョイスが出したそうで、ブラジルのバカテク・ミュージシャン達が愛情を込めて、ジョビンのインスト曲ばかりをそれぞれの解釈で演奏しているという内容のアルバムです。全32曲をひとつひとつ書きたいところですが、さすがにちょっと多すぎるので、おいしいところだけをピック・アップしてみます。まず、個人的に一番好きなテイクがジャッキス・モレレンバウンのチェロとパウロ・ジョビンのヴィオラォンの“カリベ”です。この企画でアルバムを一枚作ってほしいほど美しい演奏です。インストという制約を無視して歌っているテイクがあるのですが、美しすぎて許してしまうのがマリオ・アヂネーの“スー・アン”です。これ泣けます。“ええ!あの人も参加”系では、シヴーカやドナート、エヂ・モッタ、アジムスのジョゼ・ホベルト・ベルトラミ、なんとジスモンチ、極めつけはエルメートとオズマール・ミリトの凄いとこまで行っちゃっている“テーマ・ジャズ”。この手の企画では絶対のジルソン・ペランゼッタ、アントニオ・アドルフォ、セバスチアォン・タパジョス、パウロ・ベリナッチ、クワルテート・リヴリは安定した演奏だし、熱心なブラジル・インスト音楽ファンはたまらないクリストヴァオン・バストスとマルコ・ペレイラのデュオと、ウリセス・ホーシャとテコ・カルドーゾのデュオ。あのオ・トリオやノ・エン・ピンゴ・ダグア(なんとハーモニカはヒルド・オーラ!)も参加しています。そしてそして、このCDが“価値が上がりそうな”理由の最大ポイントのジョビンの生前の自宅録音と思われる“テーマ・パラ・アナ”がかなり泣けるんです。で、こんなに良い内容なのに、ブラジルでの評価は最悪だったそうで、ということはブラジルでのプレス数はとても少なかったはずなんです。さらにこれは2枚組みだから、なおさら世の中に出回っている枚数は少ないはずです。さらにさらにご存知のようにこのレーベルのオーナーのアルミール・シェヂアッキは残念なことに先日強盗に射殺されたのでこのレーベルの存続は危ぶまれています。
 みなさんも買っておいた方が良いですよ、ジョビンのインスト・ソングブック。

 

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