インフィニト・ラヴ(May.2004)
先日、耳栓(バーテンという職業柄、昼の間に眠っているので必需品です)を買ったら、使用上の注意の紙にこんなことが書いてありました。
“太古、人類が鉄や火薬といった物の存在を知らなかった時代、地球上は今と比べてはるかに静かな世界でした。もし、大きい音があるとすれば、それは火山であったり、落雷であったり、大雨や洪水、地響きや地崩れといった自然界の異常な事態か、あるいは強暴な野獣が咆えているのであったり、逆に強暴な野獣から逃げようとする弱い動物達の悲鳴であったりといったものくらいだったことでしょう。とにかく、大きい音は人類にとって危険信号といった意味合いだったはずです。そして、もちろん人類は進化しても、「大きい音=危険な状態」という反応は忘れていません。しかし、私達現代人の周辺には日常的に大きい音は存在し、私達は日々、それを耳にしています。そんな毎日で私達がストレスを感じないはずがありません。しかし、今日からあなたはこの耳栓を装着することによって、現代人の苦悩から開放されます。世界の静けさと、古代人の精神的安定をあなたに。”
許可も得ないで、おもいっきり抜粋してしまいましたが、耳栓の使用上の注意の始まりにしては、すごくためになる良い話だと思いませんか?なるほど、そうなんですよね。不必要な騒音は、とにかくストレスになりますよね。都市生活者として、仕方ないとは思いながら、道を歩いていると変な日本語ラップを聞かされたり(渋谷が勤め先なので…)、コンビニに入ったらゴミのようなキンキンする音楽を聞かされたりと、なかなかつらい日々ではあります。つまらない音楽、それはそれでどうでもいいのですが、無理やりこちらの耳にねじ込んでくるのはやめてくれ、という気持ちです。どうして、最近の音楽って、あんなに不必要な音を詰め込み過ぎているのでしょうか。音楽制作者が、くだらない音楽に不安になって、色んな音で誤魔化してしまおうと考えているのでしょうか。理解できません。
しかし、このアルバム“インフィニト・ラヴ”は、無駄な音が全くありません。凄腕のミュージシャンばかりだから、もっともっとみんな弾きたくて叩きたくて歌いたかったに違いないのですが、どうしたんでしょうか、奇跡的な音数の少なさです。たぶん、録音する前にみんなで話し合って、本当に必要最小限の音だけを常に全員が心がけたに違いありません。それとも才能あるミュージシャンというものは元々あまり弾き過ぎないものなのでしょうか…。ピアノとアコーディオンはギル・ゴールドスタイン、ギターはホメロ・ルバンボ、パーカッションはアルマンド・マルサル、目立ちすぎない程度のヴォーカルでマウーシャ・アヂネー、そして特別ゲスト(と言ってもほとんど彼の色の濃いアルバムですが)でトニーニョ・オルタ。ちょっと凄いメンバーですよね。もうこれで名盤は約束されているのに、さらにみんなが弾き過ぎていません。このたった五人だけの音で、私達はニュー・ヨークの夜の道を恋人と腕を組んで散策し、19世紀末のリオ・デ・ジャネイロの石畳の広場で踊り、ブラジルのジャングルのアマゾン河を澄んだ水が集まる上流から全てを飲み込んだ豊かな下流まで押し流され、そしてこのジャケットの絵のようについに宇宙まで飛び出してしまいます。そうなんです。このアルバムはこのジャケットの絵も最高なんです。このCD、以前は比較的入手が難しい存在だったので、いつかアナログ・レコードで大きいジャケットで赤字覚悟で日本盤を出したいなあ、なんて夢見ていたのですが…、うーんまたしてもディア・ハート…。
※このコラムは、ずいぶん昔にヴィニシズモという今は亡き伝説のフリー・ペーパーに書いたものをロング・ヴァージョンにしたものです。サラヴァ!ヴィニシズモ!あ、もちろんお気づきかとは思いますが、冒頭の耳栓の話は私の作り話です。そんな耳栓ありません。
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