1969年以降、月を題材にした歌が極端に少なくなったという話はご存知ですか?ええ、1969年と言えばもちろんアポロが月に着陸した年です。1969年、私達はお茶の間でアメリカ人宇宙飛行士が月を歩いているのを見て、すべてを知ってしまいました。月にはウサギも餅つきもありませんでした。そこにあるのは、生物なんか住めそうにない、荒涼とした水も酸素もない岩だらけの世界でした。こんな現実を知ってしまったら月に思いを込めた歌なんて作れません。世界に月がテーマの歌がなくなるのは当然です。“ムーン・ライト・セレナーデ”も“ミスター・ムーン・ライト”も、“ムーン・リヴァー”や“フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン”もみんな、あのアポロのせいで“古っぽい歌”に成り下がってしまいました。1969年を境に、世界で色んなことが変わってしまいましたが、月の歌までなくなってしまっていたんですね。 実は私、この話がなによりも好きで、1969年以降の月に関する歌や話を集めて回っているほどなんです。例えば、ポール・オースターの名作“ムーン・パレス”は何度読み返したかわからないし、ブラジル人作家ヴィセンチ・メンデスの書く“ムーン・ビーチ”も常に持ち歩いています。“ムーン・ビーチ”の方はあまり有名じゃないので、簡単にストーリーを説明しますと、月に海があると知った二人のカリオカが、じゃあビーチもあるに違いない、と考え(このあたりがいかにもカリオカって感じですよね)、じゃあ月のビーチでバーを始めようと、悪戦苦闘する話です。お店をオープンしたはいいが、全くお客が来なくて…のあたりの話はなんだか無茶苦茶で最高です(これから読む人もいるかと思うので具体的には書きませんが…)。
さて、そんな風に私は“月”をテーマにした1969年以降の歌や小説にいつも注目しているわけですが、特に歌の世界はそう多くありません。音楽の世界で月旅行なんてことを題材にした場合、逆にあえて古っぽさ、60年代以前のSF感覚を出そうとした演出だったりするのが、うーんこれじゃないんだよなって感じです。
しかし、私達にはカエターノ・ヴェローゾがいます。カエターノは彼の代表曲とも言える3曲がなんと月をテーマにしています。“ルア・ルア・ルア”と“ルア・イ・エストレラ”と“ルア・ジ・サォン・ジョルジ”です(“ルア・イ・エストレラ”はヴィニシウス・カントゥアリアの曲だけどこの際、目をつぶってください)。そしてどれもが名曲中の名曲です。ちょっと調べてもらえば納得してもらえると思うのですが、はっきりいって多すぎです。1969年以降、月をテーマにした歌を3曲も発表しているアーティストなんてちょっといないです。不思議です。カエターノはどうしてこんなに月を歌うのでしょうか?理由を三つくらい考えてみました。
1.1969年、カエターノは投獄、亡命という彼の人生の中でも、最も劇的で最悪な状況にあったため、アポロが月に着陸したことなんて知らないから、今でも月について歌おうとしている。
2.カエターノはもちろん、アポロのことは知っているのだが、あれはハリウッドのセットの中で、撮影されたシーンであって、まさか人類が月になんかたどり着ける訳ない、と信じている。
3.もちろんアポロのことも知っているし、信じているのだけれども、そんなことより、ただ月について歌うのが好き。
うーん、1だったりすると話はぐっと面白くなってくるんですけど、やっぱり正解は3ですよね。たぶんカエターノって曲を作ったりするのは真夜中だったりして、外が見えない室内でというよりも、例えば中庭だったりとかヴェランダだったりするのでしょうか。ヴィオラォンをポロポロと奏でて、ブラジルの夜の月を見上げると、歌いたくなっちゃいますよね、月の歌。
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